ジャパニーズウイスキー
すべてはここから始まった
今回紹介するお酒は
《マルスウイスキー・ツイン・アルプス》です
マルス蒸留所は
以前紹介した《ボンタンアメのお酒》
を造った本坊酒造が所有する上留所で
中央アルプスと
南アルプス間に位置し
標高は798メトル
冬はマイナス15度
夏は30度を超えるという
寒暖差の激しい環境にあります
そのマルスウイスキーを語る上で忘れてはならないのが
岩井喜一郎という人物です
1918年
当時、摂津酒造の常務であった岩井喜一郎のもとに
大阪高等工業学校醸造学科(現・大阪大学工学部)
の後輩という一人の青年が尋ねてきます
青年のウイスキーへの情熱を感じ取った岩井は
青年を摂津酒造で雇うことにしました
それから2年後
当時24歳のその青年は
摂津酒造の全面支援を受け
本物のウイスキー造りを学ぶために
海を越えスコットランドに渡ります
本場スコットランドでウイスキー造りを学んだその青年は
帰国後にウイスキー実習報告書をまとめ
岩井喜一郎に提出します。
その報告書こそが
「ひとりの日本人青年がやってきて
一本の万年筆とノートで英国のウイスキーの秘密を盗んでいった」
と英国外相(副首相の説もある)に言わしめた
ジャパニーズウイスキーの原点ともいえる
通称「竹鶴ノート」でした。
つまり岩井喜一郎を頼って摂津酒造の門を叩いた青年が
マッサンのモデルになった竹鶴正孝だったのです
その後本坊酒造の顧問となった
岩井喜一郎は1960年(昭和35年)
竹鶴ノートを参考に
ポットスチルの設計から
蒸留のやり方までを自らが指揮し
山梨県石和に蒸留所を建設しました
1985年には
現在の信州に蒸留所は移転しますが
岩井喜一郎が設計したポットスチルやノウハウは
この新たな蒸留所に継承されていきます
岩井喜一郎がいなかったら
竹鶴正孝がスコットランドに行くことも
サントリーの鳥井信治郎と竹鶴正孝が出会うことも
なかったかもしれないですね
ちなみに
信州マルス蒸溜所には
岩井喜一郎が設計した当時のポットスチルが
展示されています。
それでは今夜も良い夜を♪
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